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2017年1月13日
汉语与我
汉语与我----学习动机
沟越贤
在1989年夏天我第一次去中国旅游,也是第一次去国外旅游。当时在大学生中国外旅游很流行。为什么去中国?理由很简单,旅费便宜,我很穷。出发之前学习汉语的同学把教科书借给我了。我用了一天看了那本书,记住了"你好""再见""厕所在哪儿?"只有这三句。我还买了一本《日中会话手册》。我觉得所有的准备都好了就坐上了去北京的飞机。
一九八九年の夏、初めて中国に行った。それは初めての海外旅行でもあった。当時、大学生の間で海外旅行がブームになっていたのだ。なぜ中国か?理由は簡単、旅費が安かったからだ。私はとっても貧乏だった。出発の前に中国語を勉強している同級生が親切に教科書を貸してくれた。一日かけて「你好」「再见」「厕所在哪儿?」の三つを覚え込んだ。それから「日中会話手帳」を買い、準備万端整えた気分で、北京行きの飛行機に乗った。
不算机场工作人员的话我第一次说话的中国人是黑车的司机。我到了首都机场,当时的首都机场大厅里比现在的暗谈得多。暗谈的大厅里人很多。他从那个人群里突然来到了我的旁边。那时候我不了解中国的事,所以我以为他是正规的司机。他开始跟我讨价还价。然后他知道了我不会汉语,记事本上写了简单的句子。但是这"多少钱"我也看不懂。我以为他怕我没有钱。我用英语大声回答"No ploblem! I have money!"。结果我到了市中心,但是我付了他四百元。一年后我才知道那是一般车费的五六倍。
初めて話した中国人は空港で働いている人を別にすれば、白タクの運転手だった。当時の首都空港(北京の空港)は今のそれに比べると格段に暗かった。薄暗い到着ロビーには多くの人がいて、その人ごみの中から、突然一人の男が目の前に現れた。中国の事情に疎かった私は、男を正式な運転手だと思い込んだ。男は私を相手に値段の交渉を始めた。そして中国語が分からないとなると、手帳に「多少銭」(いくら?)と書いた。だけどそれも分からなかった。きっと私が金を持っているのか心配しているのだと思い、声を張り上げ、英語で答えた。「No ploblem! I have money!」。市の中心部まで乗せて行ってくれた男に払った金は四百元。一年後に知ったのだが、それは相場の五、六倍だった。
我的旅游是这样开始的。我在北京呆了十天。每天坐地铁,公共汽车去各种各样的地方。那时改革开放政策已经开始了,但是到处还留着六十年代,七十年代的风格。
旅はこうして始まった。北京に十日間滞在し、毎日、地下鉄やバスであちこちを見物した。当時すでに改革開放政策は始まっていたが、街には六十年代、七十年代の影が色濃く残っていた。
在北京火车站我看见很多人躺在站前的广场上,三四百个人。他们的脸,胳膊和脖子都晒得很黑,穿着破旧的衣服。大部分是农民,从农村来找工作的。坐在铺盖卷上,说话,打扑克,抽烟,吃方便面(那时桶面还没普及,他们把袋装的方便面和开水一起放进饭盒里。我也试试吃,但是味道不太好)。
北京駅の前にある広場にはたくさんの人が寝っころがっていた。その数は三、四百人。顔や手足はすっかり日焼けしていて、粗末な服を着ていた。ほとんどは農民で、村々から仕事を探しに来ていたのだ。彼らは、芋虫のように細長く丸めて縛った布団の上に座り、おしゃべりをし、トランプを楽しみ、タバコを吸い、ラーメンを食べていた。(当時、カップラーメンはまだ普及していなかった。袋入りのラーメンとお湯を弁当箱に入れて食べる。試してみたが、あまりおいしくない)
在王府井百货大楼,一位中年男人挑一双皮鞋。看起来他是从外地出差来的工人,质朴的样子。他考虑来考虑去要不要买这双鞋,一个多小时,他摸一模,试一试,结果没买。(我也看了他一个多小时)。
王府井の百貨大楼というデパートでは、中年の男性が皮靴を品定め中だった。素朴そうな感じで、見たところ地方から出張で北京に来た工場労働者らしい。一足の靴をずっとなでたり、はいてみたり、1時間あまりためすがめつしていたが、結局買わなかった。(私も彼の様子を一時間あまり観察していた)
这次旅游里我印象最深刻的事情不是八达岭,不是故宫,是美妙的汉语声音,特别是女人发的音!在很挤的公车上售票员喊"买票了没有!";街上姑娘和小伙子吵架,姑娘对他说"真讨厌!";在火车站买票的铁路女同志对我说"没有!";都不是浪漫的情况,而且她说的内容我大部分听不懂,但是我一听那悦耳的声音就觉得很美妙。这是我学习汉语的动机。
ところで、この旅で最も印象に残ったのは八達嶺(万里の長城)でも故宮でもなく、美しい中国語の「音」だった。特に女性が発する言葉の響き。こみ合ったバスの中で車掌が「切符買いましたかあ?」と叫ぶ。街角で口喧嘩をするカップル。「本当にむかつく!」と男をののしる。駅では切符売り場の係員が私に「切符はありません!」と言い放つ。全然ロマンチックじゃないし、おまけに何を言っているのかほとんど分からない。それでも彼女たちの美しい言葉の響きを聞くだけで十分満足だった。この美しい言葉の響きに出会った事が中国語を始めるきっかけになった。
投稿者 潤茶屋